永遠に

2008.1.12.UP.

田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人)
たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

訳:田子の浦に出て眺めると、真っ白な富士山の高嶺に、しきりに雪が降り続けているよ。

「富士」は「不尽」の意で、この和歌を味お〜ておくんなはれや〜。
富士に降る雪は永遠に尽きる事がおまへんちゅうこっちゃ。
冬に降り積もった雪は夏も消えんと、富士を美しゅ〜に飾っと〜ちゅうこっちゃ。

「山柿(さんし)の門」ちゅう言葉がおまして…。
「山柿」ちゅうんは、秀でた歌人と解釈しておくんなはれ。
誰を指すんかは明確にはなってまへんねんけど…。
山部赤人はんと柿本人麻呂はんを指す! ちゅうて「百人一首」では思いはったらしっくり行きまんな〜。

「百人一首」では…。
柿本人麻呂はんの和歌は、果てもない夜。
山部赤人はんの和歌は、尽きる事のない雪。

両方に「永遠」ちゅうキーワードがイメージされまんねん。

そやけど…。
今回の和歌の原文を万葉集に見申すと…。

田児之浦従打出而見者真白衣不尽能高嶺尓雪波零家留

ほんで、その読みは…。

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

こないなってまんねん。
「百人一首」と読みが違うだけと違ご〜て、意味も違ゃいまんねん。
「降りにける」やと「雪が降ってたんやな〜」ちゅう過去形になってしまいまんねん。

そやけど、「百人一首」では、「降りつつ」!!
「百人一首」では、現在進行形で「富士に雪が降り続いと〜」…、いや、これからも永遠に降り続く!!
ちゅうて主張してまんねん。

これは、「百人一首」の編者、定家はんの「富士は永遠にこ〜であってもらいたい!」ちゅう「心の富士」でんねん。

エッ?
「原作を歪めてどないすんや?」ってだっか?!

あんさんな〜、東海道新幹線で富士山を見れる位置に来て、富士山をクッキリ見はった事がおまっか?
大概が見えなんだり、見えとっても曇っとったんと違ゃいまっか?!
珍しゅ〜に、クッキリと見え申しても、富士山に雪が降っと〜様を見た事がおまっか?!
おまへんやろ〜?!

そやさかいに、富士は「心の富士」でよろしおまんのや!!
文学的にも、その方がよろしおまんのや。

四角四面の正官(四柱推命の用語)のオッちゃんみたいな事を言〜とったら、この世に趣きがおまへんよ〜になってしまいまっせ。

ま〜、そ〜ゆ〜「心の富士」でんねんけど…。
ツイとって、富士山をきれいに見る事がでけた時、こない思いまへんか?

「え〜?! ウソやろ〜?! こんなきれいなモンがこの世におまっか〜?!」

人は滅多に見れんモンを見たり知った時、その目を疑いまんねん。
ほんで、それが美しいモノでおますと、人はそれを「永遠」に、そのままでいて欲しいちゅうて願いまんねん。
そ〜ゆ〜事で、今回のテーマは「永遠」…。

結婚…。
それは、昔は人生の始まりだした。
そやけど、今は人生の終着駅をイメージしてまへんか?!

エッ?
「そんな事はない。」ってだっか?

ほんだら、ナンで結婚式の披露宴をあんなにゼニをかけて派手にしまんねん?!
わてなんか、新郎新婦がドライアイスの煙の中から現れたり、天井から降って来るよ〜な現れ方をしはったら…、ヘヘヘ、恥ずかしゅ〜になってきまっせ。
ほんで、みなの群衆の前でキスさせられたり…、わての顔が赤らみ申す。
あんなセレモニーは、新郎新婦を酒の肴に群衆が酒を飲む場やと思わずにはおれまへんで〜。

結婚を人生の出発点ちゅうて考えとんやったら、あないな無意味なセレモニーに無駄なゼニを使わんと、これからの人生のために使お〜とするんと違ゃいまっか?!

実際、昔の結婚式は地味だした。
それは、結婚を人生のスタートちゅうて考えとったから、人生の軍資金を無駄な事に使いと〜おまへんかったんだす。

そ〜ゆ〜事で、わては結婚式には呼ばれても行かん主義でんねん。
アホなお祭り騒ぎに、わての貴重な人生の時間を使うほど、わてはヒマやおまへんさかいに。
悪しからずだっせ。

そやけど、どないな結婚式をしよ〜とも、恋人同士のままの夫婦がいたはりまんな〜。
普通、熱烈な恋愛の末に結婚しはっても、夫婦になって冷めてしまいはるモンだす。
そやさかい、恋は熱病の一種やちゅうて言われまんねん。
そ〜ゆ〜中で…、冷めへん二人…。
冷めへん夫婦…!!

結婚しても…。
ずっと恋人同士でおる。
この事に目を疑いまへんか?!

ナンで目を疑うかちゅうと…、この世で稀な出来事だすからや。
ほんで、この出来事が美しい出来事だっから、この夫婦、「永遠」にこのままで居て欲しいな〜。
ちゅうて思うんだす。
こ〜ゆ〜夫婦になれる人と結婚でけ申したら、当たり前だっけどしあわせだっせ!!

ところ〜で…。
占い…、特に四柱推命の世界で稀なモノちゅうたら…。
大運の正しい見方がでける占い師だっしゃろ〜な〜。

大運ちゅうのは四柱推命の神髄だして、一生を見わたした運気を知る事がでけまんねん。
このお人はんは、この年代に金持ちにならはるとか、結婚しはるとか…etc。
プロは、この大運で運気の絶対を知って、何年何月にーーーーになるちゅうて細かく答を出しまんねん。

四柱推命にとって大運は絶対の要素でんのに、大運を正しゅ〜に見れる占い師が現実面皆無でんねん。
わての師匠が大運の正しい見方を知ったはったんはラッキーだした。
ちゅうより…。
正しい大運の見方を、この先生ならば知ったはる!! ちゅうてわかり申したから、わては既にプロだしたのに、今のわての師匠に弟子入りをしたんだす。

現存する伝承者は、わてと四柱推命の研究グループを組んど〜4名(伝承者だっから組んだんだす)と、わてを孫のよ〜にかわいがってくれと〜おじいちゃん占い師はんと、わての一部の弟子だけだすな〜。
これは、僭越な言い方やおまへんだして、わて、この事は言い切れまんねん。

富士を「心の富士」として、百人一首を通じて我々に伝承されとんと同んなじで…。
大運のテクも、師匠の心から愛弟子の心へと伝承されるモンだっしゃろ〜な〜。
この流れ…、稀な事として「永遠」に尽きる事なく続いてもらいと〜おますな〜。

上林岳承

総合開運研究学会
上林岳承

運命鑑定/プロ養成占い教室
daikando@sd5.so-net.ne.jp


プロの四柱推命『関西占い物語』

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